自由を得た副作用「奴隷的なマインドからの解放」

政治と経済

Ennisは社会人になったとき(2006年4月以降)からずっと副業をしてきたので、このことがどうやらごく普通の社会人(副業禁止規定とかをすっごく後生大事に守ってる品行方正な人たち)と違ったマインドセットになっていると自覚するに至ったのでこちらに書いておきます。

副業禁止規定

ロート製薬とかDNP(大日本印刷)とかのすっごく老舗の大手企業が副業を認め始めましたが、あいかわらず大半の会社は副業を認めていません。中には合理的な規制もあるといえばあるのですが(例えば、旅行バスの運転手が本業の人が、コンビニ店員のアルバイトまでやっていたら、「この人一体いつ睡眠をとってるの??」となってしまって危なっかしくて彼の運転するバスには乗りたくないです。夜行バスだったらなおさらです(笑)乗り心地はいかがでしたか?と問われて「無事にあの世に行けたよありがとう」とか言う羽目になります。)

でも、労働契約で規定された時間外の行動を制限することは憲法でもNGで、実際こんなにも正社員の副業に対して不寛容な国って日本だけじゃないかと思います。例えばヨーロッパでもイタリアなんて、公立の小学校の先生が定時終わったら地元に戻ってバーテンやっているなんていうのはごくごくありふれた風景なのだそうです。これは知人(日本人)がイタリアに旅行に行った際に現地の人間に職業を問われ、「建築士をやってます」と答えて、「そうかそうか、他には?」と追加で質問がきたので面食らったというエピソードからも明らかです。お金をもらえる蛇口はいくつ持っててもいい。それがグローバルな基準です。

虚妄の成果主義

これはEnnisが是非読者の社会人の皆さんに聞いてみたいところですが、「皆さん、成果主義でまともに評価されたことがありますか?」「勤めている会社の成果主義はうまくいってると思いますか?」「何割の人がいい評価をもらっていますか?」ということ。富士通の人事部で行われていたていたらくな成果主義のマネジメントは結局、「人件費削減の口実だった」と暴露した本がこちらですが、青色ダイオードの特許の件もしかり、会社というものはその収益に貢献した人間に対して「なるべく還元する」なんていう性善説では動いていません。特に日本の成果主義はとてつもなくいい加減です。まず、一緒に飲みに行ってるだとかのお仲間意識で、だれに高評価を下すかということが決まっており、そこに向けてのつじつま合わせとしての建前上「成果主義」な評価の運用が行われます。NGと決まっている人は最初から無理ゲーであって、どれだけ頑張ってもいい評価なんてもらえないのです。

この点、私が敬愛する未来工業の「山田昭男」社長(故人)は、この点を見事に看破しており、「成果主義なんてそもそも無理で、うちは成果主義でやっていますなんていうポーズをとるためだけに必要な成果主義運営の莫大な人的・経済的リソースを考えると全く割に合わないので、もう十把一絡げの年功序列にしてしまったのだが、それでうちはずっと上手くいってる」と述べています。そうとわかったんだから、もっとお金を儲けたい日本の強欲な経営者の方々はこれを見習ってガッツリ成果出してガポガポ稼げばいいのに、そうならない。日本の経営者の方々は、「人より稼ぐ」ということに加えて「人をたくさん自分の下に隷属させている」ということが大好きなのではなのでは?と思ってしまいます。

奴隷にしないとコントロールできないと思ってる人たち

ひと一人の生殺与奪を握っているっていうのは、そりゃ気分は良いでしょう。気にくわない言動をしたら「お前、クビ!」と言って排除してしまえるのは、自分が神様になった気分になるでしょう。クビ=給料を貰えなくなる=生きていけなくなるという構図であれば、何でも言うことを聞かせることができます。奴隷か家畜として自由自在に操ることができる。

でも、そのためには「生きていくための給料を与えてくれるのは、会社である社長のみ」という状態を作らないとなりません。会社が2つあって、その2つがそれぞれ給料をくれるなら、片方を失っても生きていけます。1つの会社があまりにも理不尽な要求ばかりを突きつけてくるのであれば、それを突っぱねることもできる。つまり言うことを何でもかんでも聞かなくてもよくなるのです。これは「支配する側」からすると悪夢のような出来事です。でもここには、「生殺与奪を握らない限り従わせることはできない」という大きな誤解があるのですが、そこに気付いている経営者は稀ですし、奴隷をこきつかう王様としての立場の中毒担っている彼らは気付きたくもないのでしょう。気分の良い王様の地位を手放したくないのでしょう。

その努力、割に合ってますか?

ある会社に勤めていた時、自分(マネージャーの一番上で、副部長の一個下)の給料と、副部長の給料というのが月額で2万円しか違わないということをひょんなことから知ったとき、愕然としました。副部長はまあ、肩書きのせいでもありますが本当に全身全霊を掛けて会社の職務に邁進していました。土日出勤も厭わない、深夜残業も厭わない。しかしはたらみても「うわぁ」と思うほどに心身ボロボロでしたし、明らかに無理をしているなあというのが良く分かりました。多分、時間的には僕の1.5倍くらい働いていて、そうなると月額2万では全く割に合わないはずなのです。しかしEnnisは学生時代から続けている英文和訳の仕事なりで毎日1.5時間程度の副業で月当たり、部長との給料の差額の5倍以上を稼いでいます。

『Ennisさん、部長になりませんか?』と問われたら、断ります。割に合わないからです。

しかしその会社に居たとき、副部長との関係は最悪でした。些細な問題でわざわざ深夜に起きたり土日に出社したりまではしない僕に対して「あなたは仕事への必死さが全く足りない。マネージャーとしての自覚はあるのか?」と常々叱責を受けましたし降格もくらってしまったのですが、「割りの合わないことに人生の貴重な時間を割かない」と決めていたので平然としていましたし、すぐに次の会社も見つかってEnnisはハッピーになりました。

Ennisがただのサラリーマンであり、副業禁止規定を遵守する品行方正な人という前提で接してしまうとかなり違和感を感じるかもしれません。僕は1つの会社におけるメンバーシップ(身分)としての正社員で昇進やら昇給ということにはほとんど興味がなく、そうであるがゆえに職務上の命令やらをそこまで必死に、自分を犠牲にしてまで守るということをしません。それで得られるものなど多寡が知れていて、割に合わないからです。無職は世間体が悪いし、家族を養う最低ラインの生活を保障して頂く為の手段として会社という仕組みを、お互いにWin-Winの間は利用させて頂いている、というだけです。

それに、目標を達成したところで、不透明な理由で昇進も昇給の約束も反故にする連中から押しつけられた副業禁止規定(会社以外で稼ぐな)なんてものが、どれだけ不平等で傲慢なことなのかを日本の経営者の皆様が思い知るまでは、あまり彼らの活動に力など貸したくないというのが本音なのです。

まとめ

副業することで得られる経済的な自由は、奴隷とは異なるマインドセットをもたらします。副作用と言えばその通りなのですが、これは至ってポジティブな変化です。これから世界はどんどんそういう方向に変わって行くので、自分が異端児だとか気にしないで生きましょう。

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