経済学系の論説文を読んでいて面白いお話に当たったのでこちらにシェアしておきます。ベーシックインカムやら、生活保護やら自給自足といったキーワードととても親和性の高そうな社会の仕組みのお話です。
ハイパーインフレ
あ度々経済評論家の先生方によって語られて使い古された感じがありますが、日本の税収は毎年約40兆円、それに対して出費は約90兆円あります。そう、全然足りてないのです(笑)兆円というとてつもない規模のお金なので実感がわかないと思いますが、これを一般家庭で例えると、収入が毎月40万円しかないのに出費が毎月90万円もあって、足りない50万円はお爺さん(父親)から借りている(借金)といった状況なのです。お金の貸し借りは良くない、借金はよくないと日本人は子供のころから言い聞かせられて育ってきていますが、何のことはなく日本という国自体が借金まみれでありまして、全く説得力がありませんという状況なのです。
実は、この「国の借金」を消し去る劇薬的な手段があります。それは「国がお金を印刷してしまう」ということです。日本の場合、国内を流通している紙幣にはこう書かれています「日本銀行券」。そうです。日本の紙幣は株式会社である「日本銀行」が印刷したものです。これが流通して皆さんのお買い物ですとか、ありとあらゆる経済活動において「価値の交換」の媒介者として活躍しています。お金を印刷する権限を持った主体、日本の場合には日本銀行がお金を印刷しまくって「借金の返済ですよ」といって手渡せば、見かけ上借金は消えてなくなります。ところが、これも度が過ぎると大変なことが起きます。実際、世界の歴史でも度々起きている「インフレーション」という現象で、ある国の紙幣発行機関が、国民に対して背負っていた政府の借金の返済のためにバカスカと紙幣を印刷した結果、紙幣が市場にあふれかえってその通貨の信用も低くなり、価値がどんどん下がっていくということが起きました。
モノやサービスに一定の価値があり、それに対して支払われるべき通貨の量というものがある程度安定しているからこそ私たちは安心して仕事もできるしモノやサービスの売買ができるのですが、時間の経過とともに通貨の価値がどんどん下がっていく市場というのはかなり大変です。今日、100円で買えた自動販売機のジュースが次同じものを買おうとしたら200円と書いてある。これは大変です。特に現役を引退して貯金を切り崩す一方の生活をしているような人は貯金の量は一定であるのに、生活費の出費だけが大きくなっていくので、大ごとになります。現役で働いている人は、毎月入ってくる給料が突然倍になります(笑)「やったー!」なんて喜んでいられるのもつかの間。スーパーにいくと食材の価格が軒並み2倍になっていて、水道料金や家賃も突然、2倍の請求が来ます。
給料が倍、出費も倍という関係がちゃんと成り立っていればまだ生活は成り立つのですが(財布は半分に価値の下がったお札でパンパンになりますが)、このインフレのすすむスピードが毎月の給料の入るスパンよりもはるかに速く進んでしまうということも歴史上起きています。これが起きるとかなり大変です。毎月20万円を給料として頂ける仕事をしている人が、いつも通り20万を受け取ったまでは良いが、スーパーに行ったらソーセージ一本に20万円の値札が付いていた(笑)なんてことがあったらパニックになりますよね。これは実際にソビエト連邦の末期で起きていたことなのです。こんな状況ですと、一般の人々の生活は完全に崩壊してしまいます。貯金は全く価値を失い、生活必需品もまともに変えなくなってしまうのです。
ロシアの皆さんは、別荘の農園で自給自足して生き延びた
では、上記のようなハイパーインフレが起きた末期のソビエトで、食べ物が買えないのですがから大勢の餓死者が出たか、というとそんなニュースも事実もありません。一体どこで彼らは食料を調達したのか。Googleをを「ロシア 別荘」という単語で検索すると、「ダーチャ」という単語がWikipediaから出てきます。
ダーチャは11世紀にその起源があるが、本格的にはサンクトペテルブルクに帝都を開いたピョートル1世=ピョートル大帝時代に始まった。1930年代、スターリン時代に農業集団化で強制的に土地を奪われた農民が「自留地」を要求(要は農民の生産物を根こそぎ徴収しようとしたスターリン政権に対して農民たちが「自分達の食料の自給」を求めた)、獲得しこれが今日の大衆的ダーチャの発端となった。ソ連時代になると、労働者が農民に倣ってダーチャを要求、ダーチャは労働者の保養施設として都市近郊に多数整備されていった。ダーチャの土地用益権は国家や企業組合から希望者に安価で支給され、土地用益権を与えられた市民は自分たちで協力し合って菜園や小屋などを整備した。ソ連では土地は国有であったため土地用益権のみが与えられ、その権利は世帯主一代限りとされた。現在は相続も認められている。ソ連時代、菜園で栽培した農作物を町に持っていき売る事は禁止されていたが、実際には行われていた。経済が著しく混乱していたソ連末期やロシア共和国初期、ハイパーインフレーションや給与支払いが半年、一年も滞り疲弊し切って、日々の食料調達もままならなかったロシア国民にとって、自活(自給自足)という最終手段で食料、現金収入を得る(自力で瓶詰加工など保存食も製造・保管していた)最後の場でもあった。これがロシアの知られざる力となっている。今では郊外の自然保護、自力で無農薬の安全な食料を確保する手段としても重要視されている。最近では若い人たちが野菜ではなく花を栽培し、ガーデニングを楽しんだり、年金生活者が都心を離れて自然豊かな郊外住宅として利用したり、民宿を建てて営業するなど様々な利用方法が見られる。ダーチャの売買も盛んに行われている。
https://bit.ly/3c3vvmO
あつまり、自分が仕事をするために住んでいる都市部の家とは別に、郊外に農園付きの別荘を皆だいたい一軒は持っていて、都市での生活が破綻したのでそちらに疎開し、経済が安定を取り戻すまで自給自足で食いつないでいた、ということだったのですね。国があてにならないからこそ編み出された自衛策ですが、国土の広さという問題はあるにせよ、日本でもこんな仕組みがあれば、「最悪の場合には別荘まで逃げて行ってそこで自給自足の最低限の生活で命をつなぐ=命だけは保障されている」という安心感は持てるのではないかと思います。
まとめ
なので日本の皆さんも、田舎に耕作可能な山や土地と、そこに中古のトレーラーハウスでも置いてサバイバルできる仕組みを備えれば、なんて思ったりするのです(笑)
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