効率化・省力化を突き詰めていった先、最果ての世界とは

政治と経済

Ennisは大学院を卒業後、親方日の丸とも言えそうな企業の新卒でスタートし、外資系のコンサルティングファームやら証券会社(サブプライム危機で部署がなくなり転職を強いられる)やらベンチャーやら(倒産)知人の事務所でのアルバイトやら本当にいろいろな会社を経験する羽目になり、14年間の社会人生活の中で一つの結論に達したのでそれをここに書き記しておこうと思いました。

イノベーションは雇用を減らす

2019年の第三四半期で売り上げ収益約470億円、ユーザー数は5億人を超えるというオンラインストレージのソフトウェア会社である大企業であるDropBoxは、全世界で雇用している従業員はたったの2300人だそうです。GE(General Electric Company)が日本だけで雇っている従業員数が2900名以上、グローバルでは30万人を超える雇用を生んでいるのと比較すると桁が二つも違います。それだけ「効率が良い」「少人数で収益を生み出す」という意味ではとても称賛されることなのだろうと思いますが、収益は上がっても人手という意味ではものすごく「雇われる人が少ない仕事=それで食っていける人の少ない仕事」ということになります。

従業員一人一人はそれは優秀な人たちが雇われているのでしょうし、従業員一人一人に例えば年俸1000万円とか払っても余裕かもしれません。しかし、半端ない贅沢のできる人がたった一人いるのと、そこそこ平均以上の生活ができるひとが二人いるのと、なんだか前者はある程度制限を課さないと本当に「弱肉強食」の殺伐とした世界をもたらすのではないかと、Ennisは危惧しています。

ただ、例えばドローンでの宅配が実現した世界では、宅配を仕事にしている人達の仕事は消えて無くなってしまうわけですが、あの土日祝日関係なくなかなかに重たい荷物を持って走り回る大変なお仕事がロボット労働に置き換わり、そこに従事していた人達がより人間らしい仕事に取り組めるという見方ももちろんあって、Ennisはこういう「どちらかというと隷属的なお仕事」(生活のために仕方なくやらされている類いのお仕事)がイノベーションによって人間の手から離れるというのは歓迎する立場です。

ロビンソン・クルーソーのお話

ロビンソン・クルーソーという人物がいます。(実はこの人は架空の人物であり、この人の物語のもとになった史実があります。そちらでのお名前は「アレクサンドル・セルカーク」実際にセルカーク島という島が実在していて、そこにはその人の逸話が語り継がれているのです)。船で遭難し、気付いたら無人島に流れてついていて、救助されるまで数年間、身の回りのありとあらゆることをすべて自分一人でこなして生き延びた。最後は近くを通りがかった船に救われて、国に戻って称賛されたというお話です。

すごく立派な、男らしい独立独歩の生きざまを実践したというお話ではあるのですが、では人類は全員そうなるべきかというとかなり可笑しな話になります。恐ろしく省力化された、一人で身の回りのこと全てを賄えるという状態なのですが、これでは明らかに社会として成り立たない(ロビンソンは当然、一人では子孫を残せません)のと、人がわざわざ個別の肉体をまとって存在することによる多様性のようなものもありません。話し相手の一人もいない状況はなかなか人間にとって高ストレスな環境です。

(これはEnnisの創作)島に漁師が流れ着いて彼も自給自足を始めたのですが、ロビンソンは漁ができなかったので仕方なく森で収穫した果物と魚を物々交換していたとします。しかしまだ若く体力も学習能力もある自分が交換の度に果物を渡すのがもったいないと感じるようになったロビンソンは、漁の仕方を学んで自分で漁ができるようにした。陸では果物、海では魚を自給自足できるようになったロビンソン。魚屋はいつのまにか島からいなくなっていたのだが、別に魚を採って食べる分には困ることはなくなっていたロビンソンは深く考えることもなかった・・・。こんなエピソードを追加したとしたら、「ロビンソンは孤独への対処方法として漁師ともちつもたれつの関係を維持するという選択肢もあったのでは?」とかの道徳の教科書に載ってそうなお話になりそうです。

土台を作ってくれた人々の努力への理解と敬意

WEBという新天地が生まれたことで、アイディア一つと多少のプログラミングスキルでもって億万長者になるという人も出てきました。その結果自体はとてもすごくて、彼らは羨望のまなざしを受けるカリスマです。ところが、彼らの語る言葉に足りないところがあるのは、「その結果を出すために人類が積み上げてきた資産・土台を全く度外視」していることです。情報商材を売ろうとしたって、まず電話回線がなければいけません。商材を作るパソコンがなければいけません。気の利いたイラストを描くためには専用のソフトをパソコンにインストールしないとなりません。往々にしてこういうインフラは物理的なものなので、どなたかが工場に出向いたり実地に出向いたりしてそれなりの時間を拘束されて(在宅は無理)作り上げるものです。こういったものが平然と使えるために意識しない、できないという限界はもちろんありますが、まるですべてを一人でやり遂げたような言い分には無理があるというのを自覚すべきです。

企業の「格」とはいかに

結局のところ、WEBが生まれて以降のプチ長者的なカリスマは、一人で例えば何億円稼ぎましたということをしたり顔に自慢するわけですが、それで自分と家族くらいはとても裕福にできたとしても、「ほとんど人を養っていない」というところで社会的なインパクトの面では昔ながらの起業家と比較すると、とてもとても小さいのではないかと思います。でかい顔をしていますが、それは村や町を作ったりといった社会形成の動きには全く役立っていないのです。人が増えない。全然賑やかにならない。実際、2000年よりも前に上場した「東証一部上場企業」と2000年以降に大幅に緩和された東証一部の上場要件でもって上場した「東証一部上場企業」を見比べてみると、売上高から従業員数まで2桁くらいの桁の違いがあります。同じ東証一部上場企業と呼んでいいのかと言いたいくらいの違いが。

最終的にEnnisは

大きな会社も小さな会社も見てきたことで、最終的に企業の格とは「そのビジネスモデルで養えている人の数」という見方をEnnisはしようと思いました。もちろん、生きるか死ぬかくらいのギリギリのところに人を押しとどめて隷属させるブラック企業のようなものは論外です。「養えている」とは、本人が豊かであることはもちろん、子供たちを育てる役目を担う配偶者と、社会を維持・発展させるために2-3人の子供を養えるだけの給料を払い続けることができる、ということです。こんな観点で見ると、Ennisは残りの労働者人生の30年くらいを、ベンチャーのような「ITを使っていて確かに効率的だが一部の役員が好き放題にお金を持っていく、自分もそのお仲間に入れる可能性がある」というところは敬遠して、「とんでもなく大人数の人々がそこで暮らしている」という企業をこそ応援しようと思いました。その方が圧倒的に社会的な意義があるからです。

まとめ

Ennisは今後大企業に転職して、大企業をこそ応援します。そしてまずはそこを十二分に応援することでそこに連なる企業を豊かにしていきます。強欲な役員たちの搾取の仕組みの構築の手伝いや、自分だけ大儲けの一人勝ちの億万長者になって地球を食い散らかす夢を見ることは辞めます。

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