理論の概要

壮大な、ホログラフィック・ユニヴァース理論

「ホログラフィック・ユニヴァース概論」ということで、私が書籍「投影された宇宙」を拝読して得た知識と、短いながらうつ病を克服してからの10年間で得たスピリチュアルな分野の知識と、このEnishiというペンネームで活動してきた中で私に関わってくれた皆さんから頂いた知識などを総動員してお話ししようと思います。

サンショウウオの実験

書籍の中に、なんとも不思議な結果が出る実験が紹介されています。サンショウウオの実験です。(サンショウウオとは両生類で、有名なウーパールーパーなんかもサンショウウオの一種です。)


サンショウウオの頭を開いて、その脳みそを取り出します。すると脳を奪われたサンショウウオの本体は昏睡状態に入る。これは当然でしょう。サンショウウオだって我々人間と同様に、「脳みその中で色々と考えて」いて、だからこそ意識は脳の中にあるはずです。ところが脳みそを「サンショウウオに返してあげる」という段になって、摩訶不思議なことが起きるのです。まずその脳みそを、最初の固定位置に戻す時に「ひっくり返して」戻す。こんなことをされてもサンショウウオは全く何事もなかったかのように意識を取り戻して食事を取ったりし始めます。では、取り出した脳を半分にして戻したらどうか。これでもサンショウウオは問題無く生き続けます。なんと更に四分の一にしても同じ事が起きる。「脳」がいわゆる生物にとってのCPU(中央演算処理装置)でありメモリ(記憶媒体。長期記憶と短期記憶に分別される)であるという前提に立ち、脳の各部分が分担してCPUやらメモリの機能を持っていると考えると、上記のように分割されてしまった脳は絶対に何かの機能を失っているはずで、その状態で戻したとしてもサンショウウオには何らかの機能的な障害を負うはずが、全くそんな様子が見られない。(もともとサンショウウオという生物は、腕を失ったりしても時間が経てば再生するという驚異的な能力を持っている生命体ではあるのですが)こうなると次に出てくる仮定は「脳みそは、部分であっても全体と同様の性能を保つことができる」ということです。

部分に、全体が

サンショウウオの実験から、脳には「部分であっても全体の情報と機能がある」という仮説が導かれました。これは非常に面白い性質なのですが、人間の遺伝子であったり、フラクタル図形であったりと自然科学の中にもたまに見かける性質だったりします。特にこの性質が色濃く出て、かつ人間の視覚的に非常に把握しやすく納得できる現象が「ホログラフィ」なのです。Enishiも、大学の学部のレーザー光学の実験で1度だけその不思議な世界に触れたことがありました。我々が通常目にする写真というのは、平面に対して光の「波長」を記録して焼き付けています。これに対してホログラフィは、平面に対して「光の位相」を焼き付けるという手法です。ホログラフィは三次元的な現象のお話になるので、実際に目で見て頂かないとそのイメージが湧きづらいのですが、ホログラフィとして特定の物体の像がその特殊なフィルムに焼き付けられると、そのフィルムの4辺を言わば、「窓」としてその先に「3次元的な像」が見えます。フィルムを傾けると、その像も傾き、別の角度から見ているような像になります。

これだけでも充分、見て楽しめるのがホログラフィなのですが(笑)さらに面白い性質があります。ホログラフィの像が映っているそのフィルムを、上下に真っ二つに切ってみる。そうすると、窓が小さくなり、像が薄くはなったものの、3次元のその像はその上下に分かれたフィルムから覗き見ることが相変わらず可能なのです。つまり、「分割されてもその個別の部分に全体の情報が残っている」ということなのです。

サンショウウオの脳の性質と、このホログラフィの性質に非常に似通ったところがあるため、「脳は全体として1つのホログラフィ的な機構でもって情報を格納しているのではないか」ということに至ったのですね。

幻肢痛(ファントム・ペイン)や臓器の記憶

腕や脚を失った人が、そこに無いはずの腕や脚から来ていると思われる感覚を体験するというのはしばしば報告されている現象です。脚が無いはずなのに、ハイヒールでつま先を踏まれるような仕草をされると、「脚が存在したら」伝わってくるであろう痛みがとてもリアルに感じられる、といった現象です。これは、その手足の感覚器から伝わってくる(はずの)情報なり感覚器というものを、「位置座標や体積を伴って」保持していないとあり得ない話です。また、臓器移植を受けた人が、その臓器を提供してくれた人の記憶や正確を帯びる、ということも知られています。全くのベジタリアンだったひとが、肉の大好きだった人の心臓の提供を受けて生き延びた所、肉が大好きになってしまった、というお話もあります。

これらも、感覚器や臓器に何か「ホログラフィックな」性質がなければ説明の難しい現象で。

明晰夢や幽体離脱

Enishiにも明晰夢と幽体離脱の経験は両方あります。夢をみるという人間の基本的な能力さえあれば、誰であっても少しのトレーニングで絶対に体験できるものと私は考えています。明晰夢や幽体離脱で体験する世界のリアルさは、現実の世界を凌駕するレベルです。路傍に転がっている石のゴツゴツした感じ、温度、重さといったものは明晰夢の世界での自分の肉体の手を使って存分に体験することができ、現実世界そのものです。物理世界のホログラフィは、体積は確かに持っていてもそれは物理媒体ではないので触れてもすり抜けてしまいますが、明晰夢の世界には体積と物理的な実体を持ったモノが無限に存在しています。ハリウッド映画に「インセプション」というものがありますが、まさにあれで作り出された仮想現実の世界が広がっています。明晰夢の世界でも1度体験すると、我々が生きている物理現実も1つの、「かなり強固に固定されたホログラフィの1つ」であって、それを受信・体験できる脳の周波数のようなもののチューニングによってありとあらゆるパターンの並行現実(パラレルワールド)に焦点を合わせて体験することができる、という性質を持っているのが我々の生きている宇宙なのではないか、というのがとても現実味を持って(現実味??(笑))腑に落ちるであろうと思います。

サイコキネシス(念力)や引き寄せの法則

プリンストン大学の工学部の研究所として(今は閉鎖されてしまって既に存在しないのですが)サイコキネシスを専門で扱うところがあったそうです。そこには、科学的には絶対に揺らがないハズの現象に、人間の意識が介在するというだけで結果が変わるのか否か、ということを検証するためのありとあらゆる器材が用意されていたそうです。ヘミシンクの世界でも有名な「ジョー=ギャレンバーガー」氏はここに出向いて、自分のサイコキネシスがどの程度のものかを確かめに行ったそうです。(書籍「インナー・ベガス」を参照)

ジョー氏の体験として紹介されていたのは、「噴水」と「落下する鉄球」の実験機のエピソードです。噴水というのは、その名の通りで水が一定の圧力で噴き出しているのでその水がとる軌跡というのは不変なのですが、ジョー氏がその噴水の水をスターウォーズで出てくるライトセイバーでもって根元から切るというイメージを働かせたところ、明らかにその噴水の水の軌跡が統計的に「下がった」ことが観測されたそうです。それと鉄球のエピソードでは、巨大なパチンコのような設備で、条件を整えて鉄球を落とすとそれはクギにぶつかってガコンガコンと音を立てて落下していくのですが、その軌跡というのは確実に毎回同じモノになるように調整されていました。これが、ジョー氏が前に立って「どこのクギに鉄球が当たってこんな音がする」というのをイメージすると、明らかにその鉄球の軌跡が「物理的にあり得ない水準で」変わってしまったそうです。

手も触れずに、人間が意識の中でそういう風に念じるというだけで物理的な世界に起きる現象が変わってしまう、ということはおそらく「私たちの意識」と「宇宙」が地続きであるということの証左なのではないかと思います。ユングの「集合的無意識」と絡めて論じられることがあります「合意の現実」という概念がスピリチュアル系にはありまして、これは「人間の深層心理が最も深いところでは全員分繋がっていて、これらが全員で取り決めた1つの法則を投影した結果が我々の物理的な現実である」というもの。この前提に立つと、サイコキネシスも引き寄せの結果もたらされる偶然の一致というのも、「強固に固めたつもりの物理現実に、個人の意識でもってある範囲の「例外」なり「綻び」を生み出すことができる」ということの結果なのではないかと思えてくるのです。

概論のまとめ

以上、ホログラフィック・ユニヴァース理論の概要を述べてみました。ここまでお読み頂いただけでも、この理論の汎用性の高さというのが何となくご理解頂けたのではないかと思います。Enishiとしてはこの理論を全てを説明可能にする『大統一理論』と見ています。(でなければわざわざこんなサイトを立ち上げません(笑))

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