プレイイングマネージャーが良くないと思う訳

政治と経済

社会人になってから14年。なんとその間10社を超える会社(親方日の丸の大きな所から、個人の特許事務所、立ち上げから1年も経ってないベンチャー等)を経験してきた為(それもまだEnnisは2020年8月15日時点でまだ40歳にもなっておりません)、本当に色々な人達と知り合って関わることになりました。そんな中、当然会社というのは組織であり、中途で入った私が最初から上司ということはなかったので、色々な上司の方々、マネージャーの方々と出会いました。そんな中で、「常人離れした努力・頑張り様と全人格労働だけが取り柄」という上司・マネージャーの方を沢山見てきて、そこに社会的な一抹の不安を感じたのでこちらに書いておきます。

全人格労働マネージャー

Ennis的にはこの累計のマネージャーというのは、プレイングマネージャーというのとほぼ同義語です。彼らを見ていると、確かに仕事はできるのです。抜群にできる。下っ端の仕事もするし管理職の仕事もする。それだけ働くんだったら人の1.5倍とか2倍給料出してもらえるのだって納得できる。そう素直に思えるだけの努力と結果とが伴う人達です。ところが、仕事はできるのですがマネージャーになるために彼らと同じだけの努力、会社の仕事への献身、長時間労働も厭わないという態度が必要だと言われるのであれば、少なくとも私はそうはなりたいと思いません。その理由を並べると以下の4つに集約されます。

何が問題なのか

ひとつ目に、そんな働き方じゃカラダ壊すし幸せなの?という話。二つ目はとにかく自分で抱え込む。三つ目はそんな彼らみたいに誰もなりたいと思わない。四つ目に、経営陣にとってだけは都合が良いので利用されるだけ利用されるということです。奴隷です。

その1:ごく個人で完結するがゆゆしき問題(全人格労働)

彼らの働き方は本当にスゴイです。毎日基本、誰よりも早く出社して基本的に終電まで働く。中には、午前二時くらいまで働くことが多くて終電に乗れないことが多いのでスクーターで通勤してますなんてことを誇らしげに語る人もいる。Ennisがごくまれに土曜日やら日曜日やらに休日出社すると、必ずいる。飯食ってるのかなと思ったら自席でカップ焼きそば。

よほど仕事が好きなんだろうと思えますしそれはそれで幸せなのかもしれませんが、忙しすぎて恋人も作れない、1度結婚したが忙しすぎて離婚した、忙しすぎてカラダを壊した、ストレスからか、20代の後半で見事なハゲ頭・・・etc。マネジメント層にはそんな人間ばかりでした。

繰り返しますが、それだけ打ち込める仕事があるというのは幸せです。人生を圧縮して太く、短く生きるというのは人生哲学でしょう。しかし睡眠時間削ったり土日のプライベートまで潰したら、一体何が楽しくて生きてるのでしょう?早死にしてしまいませんか?(特に睡眠については、Ennisは個人的に日本人の中では最高にドライでビジネスライクな生き方を貫徹しており資本絶対主義で拝金主義者のホリエモンでも、「睡眠時間を削って働くのは愚の骨頂、寿命の前借り」と言っています。)

その2:結構抱え込むタイプのマイクロマネジメントで後進が育たない

彼らは、基本的に何でもかんでも仕事を自分一人で抱え込みます。個人のパフォーマンスが実際に2-3人力なので(プログラミングもデキる、コミュニケーション力もある、英語もできる、とかで)下手に人に任せるよりも自分でやってしまった方が遥かに質が高く時間も圧縮できるという自負があり、実際にそういう結果になります。ところが組織でこれをやられると、彼らは仕事をブラックホールのように吸い込んで文字通りブラックボックス化させて行きます。そして得てして完璧主義者なので、人に任せると細かいところまでとにかく口出しをして自分の認めるレベルの品質にならないと気が済まないため、下についた部下は本当に疲弊させられます。

彼らは大方、独身か離婚したかで人生の時間を無難に消化する手段が「仕事に打ち込む」ことしかなくなってしまっているために、言わばその中毒症状として仕事だけに集中してその虚しさから目をそらしているようなところがあります。ところが20代も後半に入ったら、家族も持ってそこまで自分の時間を仕事にだけ費やせるという人間だけでもありません。そんな「普通の人達」がいるからこそ社会は再生産されて(世代が重なっていって)代謝していくのですが、全人格労働をしないと管理職になれない、高い年収を得られないとなると社会のサイクルが成り立たなくなります。それは言わば社会的な「禁じ手」なのです。これを公的に認めてしまうのはNGだとEnnisは思います。

その3:誰も彼らの姿を見てそうなりたいと思わない

Ennisの周りには、(Ennis自身もそうでしたが)そんな全人格労働マネージャー達を見て、「100万とか200万とか余計に年収が貰えるとして、彼らみたいになりたいか?」と問われて「いや、全く」という人ばかりでした。仕事はできるしその意味で認められてはいるのですが、決して「尊敬され、目標とされて」はいないのです。そんな組織って成長していきますかね?という話です。組織も交換可能な人材(部品)で構成されていると割り切って経営するならそれでも結構なんですが、1日の大半約8時間を過ごすという空間が本当にタダの生活費を稼ぐカテでしかない、誰もその組織で貢献度を高めてゆくゆくは管理職になって人を束ねたりの大きな仕事もしてみたいと思わないって、良い組織なんでしょうか?

その4:都合が良いのは経営陣にとってだけ

彼らは人の2-3倍働きます。本当にそれくらい働きます。とはいえ日本の場合にはヒラ社員と管理職の年収の違いなんてせいぜい1.5倍くらいのレンジなので、彼らは経営陣にとっては「お得」なのです。有給も消化しない欲しがらない、死ぬまで働けとは言ってないがそういうレベルまで働いてくれる。まさに金の卵を産むニワトリなのです。だからこそ経営陣からは重宝されます。しかし、そんな働き方の先でもしポックリ逝ってしまったとなっても、彼らは見舞金をちょこっと出すだけで後がまを添えるだけです。寂しくないですか?

まとめ

プライベートも家族も全てを犠牲にして社会の再生産に加わらない働き方は、「働き方のルールとしてNG」という雰囲気はあってしかるべきかなと思うのです。特に仕事の中身と定義が曖昧な日本の労働環境では、全人格労働・プレイングマネージャーが生まれやすい。彼らは生来、マジメです。それを利用されてしまうのか、彼らが進んでそうなってしまうのか半々というところですが、「結果は出してるかもしれないけどルール違反」という見方も、厳しいですがしないといけないと思います。社会は彼らと同じような働き方ができる人ばかりじゃありません。彼らのように働かないと偉くなれません、お金も貰えません、ということを認めてしまうと、長い目で見て社会は痩せ細っていくと思うのです。「結婚は経済的に損だし、家族もって子育てなんてのも非効率」というモノの見方には警鐘を鳴らさないとなりません。

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