イェール大学の『死とは何か』読んでみました。

精神世界

電車の中の広告でえらく持ち上げられていたので気になり、買って読んでみました。エール大学の哲学教授、シェリー・ケーガン教授の人気講義であり著作の名前にもなっている『死とは何か』。とんでもなく分厚い本ですが、結論から言うと私Ennisは、そのあまりにも冗長な言い回しと構成のせいで読了する前に挫折してしまいました。恐らく25%くらいを読んだであろうところで、その先にもこんなノリで延々と屁理屈が続くなら読むだけ時間の無駄と感じてしまいました。恐らく、ヘミシンクやライトアンドサウンド等を用いることで人聞きの文字や教科書の「教義(ドグマ)」としてではなく「飽くまで自分の体験」として死や精神世界というものを追究している人達にとっては、読んでみたところで全く私と同じ感想を抱くことになると思います。

20年以上も米国の名門大学で続いている人気の講義

電車の広告で大々的に宣伝されていますが、こちらの本のタイトルになっている「死とは何か」という講義は米国の名門中の名門エール大学で23年間も続いている大人気ぶりなのだそうです。確かに、一人の教授が担当している講義で20年以上も続くというのはスゴイです。特に米国の場合、有名大学というとそのほとんどは私立大学で、教授は受講生が集まらない講義をやっているとそれは学生の人気投票みたいなものなので、早々に閉講になってしまいます。私立大学ですから、「あの教授の講義が聴きたい」というタレント教授、面白い講義をラインナップしてナンボのものの世界。ヘボな講義は淘汰されていきます。その意味で、日本の国立大学でくっそつまらない講義を何十年とやっている先生方のやっている講義とは次元が違う内容なのだろうということはEnnisにも想像がつきました。

なので、この本を入手してページを開いたときのワクワク振りは半端なかったです。「投影された宇宙」を読み始めて少し進んだとき以来の胸の高鳴りがありました。

どんな内容なのか

死をテーマにこれだけの内容を哲学的に論じてくれたということ自体については、シェリー・ケーガン教授に敬意を表したいです。哲学は万学の王。これ抜きでは全ての学問はただの漂流する危険な道具か娯楽みたいなものに成り下がります。

しかし、おそらくケーガン教授は自ら臨死体験などというものは体験したことがないし、夢というのも本当に寝ている間に見る例の典型的な「夢」はみたことがあるのでしょうけれども「明晰夢」だったり「幽体離脱」といった現実と見紛う、いやむしろ現実よりもリアルな現実を主観に突きつけられる体験、明らかに自分とは違う記憶と意思を持った存在と会話が成り立つという経験はご自身ではなさったことがないのだと思います。そうでなければ「死」というものに対してこれほどまでにただひたすら言葉と論理で挑むということに情熱が傾けられる訳がない。

例えば「死」というのが誰にとって悪いから忌避されるものになっているのか、という論題があって、「究極的には死は誰にとっても終わりをもたらすものであってその先には良い悪いという判断を下す自分は存在し得ないのだから、死自体が誰かにとって良いものでも悪いものでもあるわけがない」といった趣旨のことが書かれています。これにはEnnisは腰が砕ける思いでした(笑)そんな言葉遊びがしたくてこの本を書かれたのですか、と。

こんな具合の、言うなれば屁理屈のようなのが延々と繰り返されます。

ごく個人の体験としての課題である「死」を文字と理屈だけで論ずる限界

死というのはとても個人的な体験です。個人の意識がそこで完全に断絶するものであるために、死後の世界を言葉でもって窺い知ることも、ましてや死んだその人から話して貰うこともできません。知る手立ては今の所、「自分で死んでみる」ことだけで、それは究極的に個人的な体験になります。他の代替案が科学的には存在していない。だからこそチベットの密教などでも個々人が明晰夢を自由自在に体験できるという状態を修行の究極の目的にしている訳です。

個人が見た経験でアタマの中に映像として残っているものをそのまま取り出して他の人の脳内で再生する技術が確立した時にここの問題はきっと解決するでしょうが、そこまでは死にかかわらず夢も明晰夢も幽体離脱も臨死体験も徹底的に個人的な問題です。虹色はそれを見たからこそ虹と言われればあああれかとアタマの中に浮かぶビジュアルがありますが、虹を一度も見たことがない、色の概念が持たない人同士が集まってどれだけの言葉を尽くしたところで虹というものは表現しきれない。百聞は一見に如かずです。

シェリー教授の「死とは何か」この本は、現代の哲学を極めた人が、文字と思考とロジックでもって死というものを表現し尽くそう、論じようと試みたその証跡という位置付けにおいては価値があると思います。しかし、いざ愛する人の死に遭遇した、自らの死が近付いている、という人あるいは死んだ先の世界について触れてみたいという人が読んで何かの救いになるかというと、それは「全く無駄になるでしょう」と応えざるを得ない本です。

Amazonのレビューにとても的を射たことを書かれている方がいたのでこちらに引用しておきます。

まとめ

ヘミシンクやライトアンドサウンド、瞑想あるいは他の諸々のメソッドでもって個人的な体験で持って死についての自分なりの論考を持っている人はそれで十分です。書籍「死とは何か」は史料としては価値があっても、これを読んで精神世界への探求の足しになるかというととっても残念な結果になるでしょう。

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