宗教的な修行の全ては変性意識を導くために

意識 精神世界

宗教とセットになっている「修行」

宗教には、修行と呼ばれる何らかの儀式的なものがセットになっていることが殆どです。キリスト教の祈り、仏教の念仏、山伏の滝行や、バラモン教、ヒンドゥー教の行だったヨガ、イスラム教の断食など、これらの修行の全ては、「変性意識を導くために、時の宗教家たちが試行錯誤の末に編み出した、当時としての最先端のメソッド」だと言えます。

祈りは瞑想に近いので、説明は不要でしょう。念仏は、歌でもそうなのですが持続して発生し続けるという行為は必ず脳内に低酸素状態を作り出し、常日頃普通に生きているのとは異なる状態の意識を生み出します。滝行のような「ザー」というホワイトノイズ(ヘミシンクではお馴染みの背景音ですね)と、一定の間隔で頭に水が掛かるという環境は、モノラルビートの波動で脳波が引き込まれて同調を引き起こします。ヨガもポーズよっては脳への血流量が大きく変化するものがあるため、人為的に貧血に似た症状を起こすこともできます。断食は若要りやすいですね。空腹・低血統で意識が朦朧とするあの状態、あれも一つの変性意識状態です。

皆、必死で変性意識を得るメソッドを編み出した

このように、修行というのはヘミシンクなど存在しない、ライトアンドサウンドマシンなど存在しなかった時代に、その時代時代の求道者たちが編み出した変性意識を導くための手段だったのです。変性意識というのは、脳波でいうところのシータ波よりも周波数の小さい領域とニアリーイコールです。つまりそれは脳波のコントロールの手段と言える。脳波というものの存在が知られておらず、また大脳生理学もなかった時代には、修行のメソッドというのも試行錯誤で編み出すしかなかった。そのためにものによっては何千年という時間が掛かってしまたのですが、現代では科学によって脳波のコントロールということであれば飛躍的に効率のよくなったメソッドが開発されています。宗教と、それにセットになっている修行のメソッドは、それはそれで尊いものですが、究極的には変性意識状態を導いて神秘体験や死語の世界を体験するということが目的であるというのであれば、人生の時間も限られているので可能な限り効率的な、時間の短縮できるメソッドを用いてそういった体験に至った方が合理的です。(宗教の持つ道徳的な、ケースによっては法律としても使われてきた部分が社会の安定に貢献したことは疑いのないことで、その意味で私は宗教に敬意を払います。しかし、変性意識を作り出すということに関しては現代の科学に頼った方が遙かに効率的です。)

現代には安全で効率的なメソッド・ツールが存在している

数万年というスパンで生きてきた人類ですが、その時代時代を生きていた人たちにもそれぞれ、すでにこの世を去った人と会ったりしたい、夢を自由にコントロールしてみたい、自分を遙かに越える知恵を持った生命体と会話をしたい、そういった根源的な希望が今の我々とどうようにあったのです。求めたものは同じだった。そして現代には、今まで連綿と受け継がれてきた修行と呼ばれるものよりも、そういった体験を得るという目的では優れたメソッドが存在する。そしてそれは非常に安全なものです。そうであるならば、現代版のメソッドを積極的に活用した方が、私は世界は平和になると思うのです。

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