普通の人には聞こえないものが聞こえるようになったり、神との合一に至った全能感を得たり、自分は死なないなどといった妄想に至ったりといった覚醒剤を打った人特有の症状と、ヘミシンクを含む変性意識系ツールで垣間見る向こうの世界を知った人の言動は、似て非なるモノなのですがそれでも誤解はあるものなのでこちらに記しておきます。
覚醒剤が規制される理由
コメディアンの田代まさしさんが覚醒剤によって人生を棒に振ってしまったことは皆さんご存じの通りです。覚醒剤が規制される理由は、セックスですらその足元にも及ばないと評されるレベルの快感、人一人の人生においてそれ以上はもはや絶対にないという快感を得られてしまう、それが脳裏に焼き付いてしまうことで、他の全てを投げ打ってでも覚醒剤が欲しいという依存状態になってしまうのです。しかし覚醒剤にも耐性があり、1回の摂取で得られる快感というのは漸減していきます。つまり、以前と同じだけの快感を得るためにはどんどん量を増やしていく必要がある。しかしアングラマーケットで取引される覚醒剤は、芸能人ですらその金額負担で破産する恐れがあるほどの高額なものです。そして依存症になると四六時中覚醒剤を求める衝動に駆られ他のことなど手に付かないという状態に陥ります。これが「周囲に掛ける迷惑」という点で社会的な問題点です。それともう一つは、「意識が現実世界から離れすぎてしまう」という問題です。
覚醒剤を摂取して得られる精神状態の中に、「神と自分が同一の存在になったような、恍惚とした幸福感と全能感、世界の仕組みが全て自分の手中にあって自分は不老不死の存在」といったぶっ飛んだ認識が結構な数のケースで報告されます。この認識は確かに、色々なスピリチュアル系統の修行の果てに人間が得るべき認識、と言えるのですが、この認識が行き過ぎると「自分が縛られている現実世界など取るに足りない、つまらない。自分の魂は永久に不滅なのだから、肉体から解き放たれて早く向こうの世界に行くべきだ」となってしまい、死の恐れを悪い意味で克服してしまった彼らが平然と自殺してしまうのです。これも、覚醒剤が法律で禁止されている大きな理由の1つなのです。
変性意識系ツールで得られる認識の世界と覚醒剤のそれの違い
ヘミシンクなど人間の脳の状態を日常とは別の状態に導いて行くツールを使った人達の体験に、上記のような覚醒剤による意識体験と似通ったものがあることは事実です。自分とは比べものにならないくらいの知性を持った存在との会話であったり、言い表しようのない恍惚感だったりというのは私Ennisも実際に経験したことがあります。しかし不思議なのは、これらの変性意識ツールによって得られる経験に対して依存してしまったり、それも覚醒剤のように不可逆的な障害が脳に残されてしまったりといったことは一切ありません。(実際、あの訴訟社会のアメリカにおいてヘミシンクを開発・提供しているモンロー研究所は事業にまつわるいかなることでも訴訟を起こされたということはありません。覚醒剤と同様の症状が出て家庭が崩壊するなどの事例があれば間違いなく訴えられているでしょうし、それならそれで司法も黙ってはいないでしょう)
それと、覚醒剤によって得られる体験談というのは結構な割合で、いわば「支離滅裂」です。変性意識ツールで得られる体験も、いうなれば夢の中の出来事のようなものなのですがそれでも時間的な前後と脈絡といったストーリーがあります。ところが覚醒剤によって精神分裂状態に陥ったようなケースだと、例えばこんな具合になります。「朝起きて、ベッドから立ったのだが足を滑らせてしまってベッドの角にアタマをぶつけた。そうしたら自分の頭の一部が割れて破片が飛び散ってしまい、これは大変なことになったと私はその破片を必死で拾い集めた」とこんな感じです。ハチャメチャな展開で有名な漫★画太郎先生の漫画にもここまでメチャクチャなお話は出てきません。何というか落ち着きがなく、そこに何のストーリーも示唆もなく、ただの出来事の羅列、といった具合になるのです。少し前に有名になったイラストですが、そうです。こんな流れです。
まとめ
覚醒剤で得られる体験・境地とスピリチュアリズムが目指す境地というのは重なっていますが似て非なるものです。前者は最終的に現実世界との絆を断ってしまいますが、後者は現実世界とも統合を図ります。(※アイキャッチ画像に使った「自己発見の冒険」という書籍は、幻覚剤の1つであるLSDを用いずとも同等以上の体験を得られる呼吸法「ホロトロピック・セラピー」についてもっとも詳細に書かれた書籍です。)
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