人新世の資本論(前編・資本主義へのダメ出し)

政治と経済

こんな人が日本人から誕生したというのを誇りに思います。経済学の新天地です。

皆おそらく気付いている

およそ皆気付いていると思うのです。再利用できないゴミの山が地方に出来上がることで反対運動が起きたり、太平洋のど真ん中に海を漂流した世界中のゴミが集まる場所が水平線まで広がる場所があったりと「こんな仕組みでいつまでも続けられる訳がない」ということに。

資本主義の仕組みでは経済合理性を無限に追求しますが、根っこの所では森林資源だったり化石燃料だったりと、地球が数億年といった途方もない時間を掛けて積み上げてきたものを無料で搾取して、それに値段を付けて売って、ということで成り立っています。なので、それらの資源が有限である以上はどこかで行き詰まるし、使い尽くしたらお仕舞いです。

マルクス再評価(というより再発見)

経済学者のマルクスというと、共産主義の神様みたい?な扱いをされていてそれがソ連の崩壊などで結局実世界では成り立たなかった、みたいないわゆる「オワコン」(笑)のような扱いをされています。(私もそうでした)

ところが、晩年のマルクスが残したメモまでつぶさに読み解くと、マルクスが「資本論」に書いた内容とは真逆の見解に晩年は至っており、資本主義の矛盾点と限界を乗り越えるための新たな仕組みについて考察していた、ということが分かったのです。

脱成長コミュニズム

資本主義では成長を強いられます。成長しないと生き残れないのです。これには良い面ももちろんありました。間違いなく、この200年くらいの間で人間の暮らしは爆発的に進歩して便利になりました。テレパシーとか言われた超能力の類いは誰もが使えるスマートフォンという形で実現し、太陽光からそのまま電気を取り出す技術など、それまでの世界には想像も付かなかったものが生み出されたのは、この資本主義の「競争と成長強制(バトルロワイヤル)」の仕組みがあったからと言っても良い。

しかしこの「資本主義的な観点での成長」と地球破壊が切っても切り離せない環境にあるために、いずれ人類全体が破綻するという定めにあります。

人新世の資本論の著者、斉藤さんは「脱成長コミュニズム」の復活を解決策として掲げています。進歩や成長を前提としない、持続の可能なレベルに人間の活動を抑えるという新たな仕組みです。

後編に続く。

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