スピリチュアリストの大家どうしが仲が悪い件

精神世界

スピリチュアルな分野に興味のある人というのは、基本的にはより高い次元に進歩しつつある人間だと思っています・・のですが、彼ら同士(特にその大家同士)がどうにも仲が悪いという事例にちょくちょく出くわすので、それについて書いておこうと思います。

スピ系の人達

彼らは基本的に調和を望む平和主義者であり、争い自体を好まない。無償の愛を注ぐということを喜んでこなします。ところが、スピリチュアルなそれぞれの分野でのカリスマ的な存在同士はどういう訳か、相当仲が悪いです。

Ennisのスピ系のベースは、脳波のコントロールによって主観的に様々な体験が現れるという、米国モンロー研究所の流れを組む、ヘミシンクによる『変性意識』の分野。(こいつは、大学院に入りたての時に立花隆の「臨死体験」に衝撃を受けて、その延長として坂本政道さんの「死後体験」を読んだことによります。)

そして、ご存じ私が社会人二年目で体験したうつ病の地獄からの生還体験の中で受けた、NLP(神経言語プログラミング)による催眠術。この2つが、僕のスピ系の大きな柱になっています。

ところが、です。

NLPは創始者同士が仲違い

NLPを体系立った学問にまで昇華することに尽力した、NLPの四天王と呼ばれる方々はお互いに訴訟をやったりで今は完全にバラバラになってしまっています。(NLPの実践者はコミュニケーションの達人のはずなのに、です。)

変性意識VSニュートラルなカリスマ信仰系

そして、ヘミシンクの変性意識の流れは、実は江原啓介さんの派閥とはかなり仲が悪いです。悪いといいますか、江原さんがヘミシンクをまるで「ドラッグ」扱いしているのに対してヘミシンクをやる人達は全く意に介してもいないという構図で江原さんが一方的に敵視しているような状況です。

「精神世界の深遠さと真理はそれを真摯に求める人達だけのものもの」なんだそうで、それはヘミシンクのようなお手軽な方法で提供されたところで、1970年代とかに流行ったニューエイジ系のカルトとかと何も変わらないという評価を江原さんは下しているそうです。

Ennis個人としては、「そりゃあ、江原さんのようなカリスマ占い師型の商流と既得権を抱えている人は、悟りの境地やら神秘体験が誰にでも会得できるものになってしまったんじゃ困るだろう」くらいに思っています(笑)(読者の皆様が江原さんのファンだったらゴメンなさい。)

Ennisのスタンス

歴史を紐解けばいつでもそうですが、一人のカリスマに支えられた組織というものは脆いものです。例えば岡田茂吉氏の世界救世教は、彼の没後3つに分派。世界救世教に限らず宗教というのは政党と同じで離合集散を繰り返していて、その系統図を作るとなかなか面白いです。不思議なもので、より真実に近いからこそ人々に受け入れられて広まった結果、組織化された瞬間から宗教なりなんなりというものはおかしな方向に行き始めます。発足間もない頃にバンバン出ていた奇蹟のようなものが、大衆化していくなかでサッパリ出なくなる。

なのでもしEnnisが全世界の人達の心の安寧の為に何か集団を作るとしたら、ネット上に展開する非常に緩いつながりでそれこそ空気のようなものに、そして特定のドグマを持たないものとして構成しようと思います。そしてなるべく科学に立脚した、それこそシンクタンクのほんの少しスピリチュアリズムに片足突っ込んでるくらいの法人が一応中心部にはある、といった具合のね、そういうものが望ましいのではないかと思います。船井幸雄さんの船井総研がそれに近いかもと思いますが、晩年の彼と彼の法人についてはかなり評価が分かれました。経営の神様と崇めた人達からすると「晩年はおかしくなった」という評価(笑)、スピ系の人達からは、「アセンション詐欺師」のような扱いと(笑)

奇蹟は正直、アテになりません。万人を遍く幸福にしてきたのは「科学」です。しかし、科学で解明できない、理解できないから非科学だというレッテル貼りは、学生が「赤点とってしまったけど社会に出て役に立たないから別にいいじゃん」という負け犬の遠吠えになるのでそういう扱いもしません。未知に対してどこまで既存の科学の知識体系で対抗できるのか、そこをベースにそれで分からないなら全く新たな視点を持ち込むとか、そういう堅実なやり方で臨みます。

分裂する=「人の解釈でどうとでもなるようなものを教条にしている」ということなのではないかと考えます。つまりそこには不動の真実らしい真実はないということなのではないかと。

まとめ

自分の正しさを証明するためにわざわざ他人を叩かないとならないようなのは多分、ホンモノではないです。そこにホンモノがあるなら、それの探求に没頭して他派の批判なんかやってるヒマはないはずなのです。

その点科学は自明の理なので、議論して打ち負かす必要はない。同じような目的に使われますが糸電話より携帯電話が優れているのは火を見るより明らか。ですから誰もが携帯電話を持つようになりました。携帯電話は糸電話を論破してコミュニケーション手段の頂点に立った訳じゃない。スピリチュアルな世界にホンモノが現れた時にはきっとこれと同じようなコトが起きるんじゃないかと思っています。

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