稼ぐ力を持った人間の責務

政治と経済

ノブレス・オブリージュ(noblesse oblige)という言葉があるように、富めるものはそうでないその他大勢の人々の福祉のために何らかの義務を積極的に負うべきです。IT長者の皆さんより更にあとに雨後の筍のように出てきたいわゆる「情報商材屋」の類の長者の皆さんにどうも品のない人が多いので、半分私怨を込めて(笑)ここに書いておこうと思います。

寄付の文化の根付かない日本

米国の場合、本当に実力があると大小さまざまの返済の義務のない奨学金を受け取ることができ、その能力1つで社会的にのし上がっていくことも可能です。ところが日本の場合、昨今奨学金の返済のせいでジリ貧になっている新社会人の方々が社会問題になっているように、「返済の不要な奨学金」というのは本当に稀です。つまり、学資に恵まれていないといい大学には入れないし、そういうわけで社会的な身分が家柄と血脈によってある程度固定化されてしまうという問題があります。一億総中流と言われた日本ですが今は昔。いつのまにかとっても格差の大きな国になっていました。米国もそれに劣らずというかずっと格差の大きな社会ですが、富める人はその分、寄付もしています。次世代への投資ということに厚い文化が根付いています。

情報商材屋

今思うとバカな出資だったなと思うばかりなのですが「寝ていても毎日5000円が手に入る」「簡単な作業で10万円ゲット」といった情報に飛びついてウン万円という出費をしてしまったことが、Ennisにもございます(笑)こういう類の情報で稼いでいる人たちに共通するのは「稼ぐ方法を教えてあげるからお金を頂戴」というスタンスであるということ。「寝ていても毎日5000円が転がり込んでくる方法を教えてあげる。それは毎月15万円の収入になるのだから、長期的に考えれば10万円でも安いですよね?」的な論法でもって売りつけてきます。

「俺様は20台で億単位の資産を作ったとんでもなく頭が良くてコミュニケーション能力があって素晴らしい人間。そんな俺様が新しいビジネスモデルを考えたのでそれを教えてあげるからお金頂戴」という仕組みになっていて、大方その仕組みというのはマルチレベルマーケティングだったりして、そうやって教えたビジネスモデルで上がる収益の何割かがその元締めである「俺様」に入るようになっています。

自分が豊かになったそのビジネスモデルのノウハウ自体が彼の収益源という、なんだか納得のいかない仕組みであるのが大半で、だいたい彼らがそういう手段に出た時点でそのビジネスモデル自体は使い古された仕組みであるためにろくな収益が上がらず、結果が出なくても「それはあなたの努力が足りないせい」という話で丸め込まれて泣き寝入りになります。こんな連中はカネだけ持っていても「似非セレブ」なので別にどうでもいいです。こういう人たちにはついていかないようにしましょう。Ennisは最近この手の連中は見た目の雰囲気で一発でわかるようになりました。

もう少し実業寄りのネット長者

海外のAmazonで安値で売られているものを輸入し、日本のAmazonで利益を載せて販売する、ですとかイーベイを使った日本の商材のオークション販売ですとか、もう少し実業寄りの事業でお金を稼いだ方々は結構、まともです。しかし結果はともかく彼らにも残念なところがあり、「①大企業を小馬鹿にする」「②自分の稼いでいる仕組みはすべて自分が考えて作ったという気になっているが決してそんなことはないのにそういった要素に対して全然感謝の念がない」という性質があります。

①は例えば、大企業に入って圧倒的な成果を出したのに、頂いた社長賞の賞金を結局、部全体の祝賀会の費用として使われたために自分の実入りはほとんどなかったということが「異常だ」と感じてその会社を飛び出て企業して大成功した、もはや大企業なんて仕組みは瀕死だ」とかのお話です。でも、例えば一人で年収1千万をたたき出すにはおそらく倍程度の売り上げは立てないとなりません。

そしてようやっと1000万円を稼いでまあ、人よりは裕福な生活ができるかもしれませんが、では誰を養っていますかという話になると家族だけでせいぜい4-5人とかの規模。「社会的なインパクト」で見たら「無に等しい」です。彼らが子馬鹿にする「企業」という仕組みでは、正社員が10人いれば最低、彼らに毎年300万円程度は払っているはずで、それだけで3000万円のお金が動いて、それだけの人が養われているわけで、「社会的な意義」という尺度で見たら、「社会を形成・維持している」小馬鹿対象の「企業」に軍配が上がります。

年収1000万円のピン社長さんは、一人で勝手に稼いで家族程度は養いますが、それだけです。その彼の会社は次世代には残らないでしょうし、何の歴史書にも書かれない、ネットの記事くらいには出てくるかもしれませんが、一過性のものでしょう。

それと②ですが、例えばイーベイにしたって、まずは雨風しのげる自宅があり、電気を通っていて、電話(ネット)回線がつながっていて、プロバイダが存在し、パソコンが用意されていて、OSが入っていて、と数えればきりがないほどの「インフラ」に支えられています。えてしてそういうインフラを支えているのは、小ばかにしている対象のNTTやら東京電力やらとその系列会社という大企業という矛盾(笑)そうです。彼らは全然独力で稼いでいるわけじゃありません。

カネ稼ぎの上手な人たち

カネ稼ぎの鉄則は当たり前ですが、「少ない元手で」「より高付加価値のものを作って売る」ということ。これが上手な人というのが人の中に一定の割合で含まれていて、それを最初に見つけ出した人間に富というのは集中します。集中すればするほど人手が足りなくなるので人を雇ったりすることで社会が形成できるのですが、近年のITはそれを機械に担わせることで人手というものを圧倒的に圧縮し、さらに富の集中に拍車をかけています。

ここで人々の耳目を集めて喝采を浴びてカリスマと崇められて満足するのでもいいのですが、そうやって富を得た方々にもう一歩進んで考えてもらいたいのが、「そうやって稼ぐ仕組みを完成させられたのなら、その頭脳を使って社会を維持して平和な方向にもっていくことに力を発揮する」ということです。優秀な奴だけ集めてチームを作ればそれは結果は出やすいでしょう。でも、世の中にはトイレを掃除したり、真夜中に線路を点検したり電話回線をメンテナンスしたりといった、単調であまり面白みのない仕事でも淡々と続けてくれる人たちも、それは能力的にはあなた方とは比較にならないかもしれないのですが絶対的に必要なのです。

普通に人が一生を過ごすのに必要なくらいの金額を得たなら、一人で使い切ることなどできないでしょうし、あの世にまでそんなものはポータブルではありません。寄付や財団を作るなどの方法で、社会に還元して、富める者がますます富み、貧しい人々がさらに貧しくなるという現状の仕組みの是正に動きましょう。

まとめ

稼いだ分、社会に還元して徳を積みましょう。社長になれるほどの「稼ぐ仕組みを作る能力」があれば、かなり簡単なことのはずです。人より稼げる力があるなら、ヒトを養う心の広さと責任を。

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